日航機墜落事故『虫の知らせ』で 乗るはずだった人・乗った人は?

不思議

1985年8月12日月曜日午後6時56分ごろ、羽田発大阪行き日本航空123便(ボーイング747SR型桔が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落。乗客・乗員計520人が死亡し、4人が重傷を負いました。当時は連日ニュースで流れ、救出者の安否やボイスレコーダーの捜索による原因究明など様々な報道がありました。現在も遺族者たちの心の傷は大きく、現在も事故当日に現地に行って慰霊を行っている姿をニュースなどで見ます。

その中で、実際に日航 機 墜落 事故に遭わなかった、乗る はず だった 人やそれでも乗った人がいるという話がありました。『虫 の 知らせ』で乗らなかった。『虫 の 知らせ』があったけど乗らなかった。という話がありますので紹介します。

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『虫の知らせ』とは?

『虫の知らせ』とは

「なんとなくよくないことが起こりそうな気がしたり、予感すること」

五感を超越した感覚の意で,直観,霊感,虫の知らせなどの総称。通常は、意識のうえでは説明困難な 勘などが働いた時などに多く用いられます。

所説は様々ありますが、有力なのは「古代中国において信仰されていた道教の教え」から来たと言われています。

道教では、三尸(さんし)と呼ばれる3匹の虫がそれぞれ人の脳・腸・足のなかに住んでいるとされていました。

3匹の虫はただ住んでいるだけではなく、60日に一度、庚申(こうしん)と呼ばれる日に、その人間が悪いことをしていないか、神様に告げ口をしに行く。告げ口された者は寿命を縮められてしまうということです。

そこから「悪いことをしていたら虫が神様に知らせに行く」→「虫が悪いことを知らせる」と、今の虫の知らせの意味に転じたそうです。

江戸時代の日本でも、人間のなかに住む9匹の虫が、感情や意識をコントロールしていると考えられていたといいます。

「虫唾が走る」「腹の虫がおさまらない」「虫がいい」など都合の悪い時とかに、感情に関係する言葉で「虫」が使われている日本語はたくさんありますね。

当時は、寄生虫によって不調をきたす人が多かったことが由来で「病は気から」とはよく言われていますが、「体調は感情にも如実に影響する」といったことも、虫が感情をコントロールしているという考えに繋がっていると思われます。

虫が感情をコントロールしているとすれば、目に見えないものを察知する第六感を司っているのもまた虫だ、と考えられるようになっていくのは自然です。

道教の三尸の教えは平安時代には日本に伝来していたという説もあり、江戸時代のこの考え方もそこから派生したものなのかもしれません。

現代の漫画でも、『虫』が話の中心となって進んでいくパターンってありますね。

脳科学者の茂木健一郎さんは、『虫の知らせ』というのは言葉にこそできないものの、結局は脳が大量に得た情報から無意識に推理した結果だと言っています。

これもまた、経験則から導き出された危険なことが起きる予感。肌で感じる危険を察知するのは当然のことかもしれません。

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日航 機 墜落 事故『虫の知らせ』で乗るはずだった人は?

では、どのような「虫 の 知らせ」で飛行機に乗らなかったのでしょうか?有名人の方は以下の通りです。

明石家さんま

明石家さんまさんは、大阪でのラジオ、ヤンタンのレギュラー出演のため、いつも使っている日本航空123便に搭乗予定でした。しかしその日、たまたま直前のひょうきん族の収録が早く終わったため、一便早い全日空の便に振り替え、日本航空123便墜落事故を免れました。

それ以来、さんまさんは飛行機ではなく新幹線で行けるところは新幹線を使うようになったそうです。

さんまさんは当時、「笑っていいとも!」で搭乗予定だったことを言ってしまったことで、いつも笑わせているコーナーが、見ている人を引かせて笑わすことができなかったような記憶があります。

さんまさんは良く、「生きてるだけで丸儲け!」といった言葉が有名ですが、

この事故がきっかけだそうで、娘さんのIMARUさんの名前の由来にもなっています。本当に命拾いをしたさんまさんの想いが込められていますね。

稲川淳二

稲川淳二さんはその日123便に搭乗予定でしたが、直前の仕事の健康番組「稲川淳二のためになる話」の収録中に、なぜか立っていられないほど体調が悪くなり、「次の日、朝一番の新幹線で大阪入ろう」ということになって 翌日の新幹線で大阪に向かうスケジュールに変更しました。

その一方で、同じ番組を手伝っていた美容研究家の和田浩太郎さんは収録後大阪に移動するため羽田に向かい、到着が早かったため、本来予定していなかった123便に搭乗たということです。

逸見政孝

逸見政孝さんは、家族で大阪の実家に帰省する予定で逸見さんが123便を希望しました。予約をしようとしたところ、満席だったと言いうことを奥様に告げると、奥様が

「4人で飛行機に乗って、もし事故でも起きたらどうするんだい」

といって搭乗を嫌がり、長男の太郎さんが直前に「新幹線の方が安い」と提案したので新幹線に変更しました。

長男の太郎さんからすると、奥様の方の祖母は「霊感があるというか、不思議な存在だった」という話をしています。

逸見政孝さんは平成5年1月にがん告知をうけ、1年足らずでこの世を去りました。

長男の太郎さんは、とあるインタビューで

「父がフリーになって初めて買った車が、メタリックシルバーのベンツでした。それにつけたナンバーが“123”だった。“イッツミー”の語呂合わせ。大阪人特有の笑わせてナンボということだったんでしょうが、それにしても123便とは妙な符合ですよね」

なかなか不思議な数字ですね。

麻実れい

浅見れいさんは、元宝塚歌劇団でした。宝塚歌劇団の人たちはよく123便を利用していたといわれています。劇団を4月に退団後、女優活動で浅見れいさんは東京での仕事が終わり、登場予定でした。明石家さんまさんと同じように仕事が早く終わったということで、1便早い飛行機に乗って大阪へ戻ったそうです。

ジャニー喜多川・少年隊

ジャニー喜多川さんと少年隊のメンバー(錦織一清さん、植草克秀さん、東山紀之さん)は、近藤真彦さん主演の舞台が大阪で前日から行われているため応援に向かう予定でした。でもジャニー喜多川さんは、初日に近藤真彦さんが開く記者会見に来てほしいと要請があり、前倒しで大阪へ行き、少年隊のメンバーは登場をキャンセルして東京に残ったそうです。

笑点メンバー

当時の笑点メンバーは、(当時の名前で)三遊亭円楽さん、桂歌丸さん、林家木久蔵さん、林家こん平さん、三遊亭楽太郎さん、古今亭朝次さん、山田隆夫さん。

13日の徳島の阿波踊りがあり、参加する予定でしたが徳島便が遅延、更に徳島空港が悪天候のため予約便が条件付き運行となってしまい、色々と手を尽くしている中で、

日航機に搭乗して神戸から船で徳島入りする案が出ましたが、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案し徳島便に搭乗した。

実は同行予定だった広告代理店の数名は乗ってしまい、犠牲となったそうです。

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日航機墜落事故『虫の知らせ』があったのに乗った人は?

坂本九

坂本九さんは8月11日に、司会を務めていた『クイズクロス5』の収録のため広島に前日入りしました。次の日の12日に収録を終えた坂本九さんは、東京へ戻ります。

坂本九さんの元マネージャー・香川弘行さんが大阪で選挙活動を始めたので、その応援に駆け付けるため、『クイズクロス5』収録後そのまま大阪入りを予定していました。

でもちょうど東京で、うつみ宮土理さん司会のラジオの代役で、『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』を代役を務めなくてはならず。前日に帰京しました。

実は坂本九さんは、国内の移動はいつも全日空(ANA)を利用していました。

当時から日本航空(JAL)は事故が多かったので、嫌っていたそうです。

所属プロダクションも妻の由紀子さんも「飛行機は全日空で」と強く関係者に伝えるほど、徹底していたのだとか。

なので、事故のニュースを見たときに「日本航空だから乗っているはずがない」と、坂本九さんの家族は信じていました。

しかし、12日の夕方羽田発の全日空は埋まってしまっており、用意できたのは日本航空のみでした。

坂本九さんの友人である、プロボウラーの矢島純一さんは事故の1週間前にこのことを聞き、「何としてでも変えたほうがいい」と勧めたそうです。

でも、坂本九さんは「せっかく手配してくれたのだから(チケットを手配したのは香川弘行さんの秘書)」と、そのまま日本航空に搭乗しました。

当日の朝9時ごろ、自宅の庭で体操していれ。そばでは次女の舞子が遊んでいました。

その時、空を見上げていたという坂本さん。その様子が気になった娘の舞子さんが「パパどうしたの?」と聞くと、

「今日は雲が速いから飛行機に乗りたくないんだよね・・・」とつぶやいていたそうです。

さらに坂本九さんは、日ごろ娘さんを抱っこして冗談を言って楽しませるのが日課だったのですが、前日の夜に舞子さんを抱っこしたときは、なぜか目をつぶって抱きしめていたそう。

その姿を見た妻の由紀子さんは「今思うと、何かいつもとは違うな」と異変があったことを感じました。

事故前日の、生前最後となったラジオ番組で坂本さんは、当初の予定にはなかった『心の瞳』という曲を番組内で披露したそうです。

そしてそれまでメディアでは一度も歌ったことがなかったこの曲が、坂本さんの死によって苦悩のどん底に陥った由紀子さんたちを救うことになったということです。

事故から半月後に、坂本さんが事故当日に収録したラジオ番組が放送されました。そこで流れてきた『心の瞳』がとある中学校の音楽教師の耳にとまり、翌年の3月に行われた卒業式の合唱曲にすると、たちまち評判が広まり、 やがて全国の中学校の合唱曲として歌われるようになりました。

やがで『心の瞳』は、音楽の教材にも載るほどの定番曲に。すると、いつの頃からか、妻の由紀子さんの元には全国の小中学校から感謝や励ましの手紙が届くように。

こうして、『心の瞳』が合唱曲になっていることを知った妻の由紀子さん。坂本さんがこの曲を「僕たちの歌みたいだな」と話していたこともあり、母娘3人で歌い継いでいくことを決め、コンサート活動を開始したということです。

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まとめ:日航 機 墜落 事故『虫 の 知らせ』で乗るはずだった人・乗った人は?

乗らなかった人

  • 明石家さんま
  • 稲川淳二
  • 逸見政孝
  • 麻実れい
  • ジャニー喜多川・少年隊

  • 笑点メンバー

乗った人

  • 坂本九

その他、一般人の方でも免れた方たちがいます。『虫 の 知らせ』で乗りたくない。と思って乗った方もいらっしゃいます。

様々なところで、「陰謀説」や「伝説と結び付けている偶然」など考えられるという逸話もあります。なにか日航機墜落事故は、私たちには想像つかないほどの不思議な力や、考えられないような因縁があるようにも感じてしまいます。

ともかくも、当時亡くなられた犠牲者の方々に心よりお祈りいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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