古賀玄暉(こがげんき・古賀稔彦の次男)の出身高校や大学は?オリンピック出場で父への想いを使命に変える!

古賀玄暉さん(こがげんき)が「柔道 全日本選抜体重別選手権 最終日(4日、福岡国際センター)」で初優勝しました。決勝は10分14秒の激闘の末、堅山将選手に合わせ技一本で勝利。3月24日に死去した1992年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの父・古賀稔彦さん(享年53)に初優勝を届けました。その後古賀玄暉は初めてオリンピック日本代表選手に選ばれました。

父親の死を背負い、見事優勝を成し遂げた姿は多くの人に感動を与えました。

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古賀玄暉(こがげんき古賀稔彦の次男)の出身高校や大学は?

大学 日本体育大学
高校 大成高校
中学 大成中学

古賀玄暉選手は、地元愛知県の進学校で中学・高校と私立一貫校である大成中学・高等学校に進学しています。

高校の偏差値は51から60のようです。コースによって異なるようですが、進学校のようですね!

大成高校時代には、1年生の時に、全国高校選手権の60kg級で優勝しています。

その後、大学は、日本体育大学に進学しています、日体大は、世田谷にキャンパスがあり、多くのスポーツ選手を輩出しています。

先日死去した父、古賀稔彦氏や兄の古賀颯人選手も日本体育大学を卒業しています。古賀選手には、兄と妹がいる3人兄弟みんな柔道をやっています。妹は古賀ひより。兄弟3人とも全国大会の上位に入るほどの実力。

お父さんの血を受け継いだ兄弟が今後も活躍してくれると天国の古賀稔彦さんもきっと喜んでいることでしょう。

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古賀玄暉(こがげんき・古賀稔彦の次男)の就職先は?

古賀玄暉選手は、2021年4月から旭化成に就職しています。

1998年生まれの22歳なので、新入社員ということです。旭化成の柔道部に所属しいます。

今回、全日本選抜体重別選手権で優勝したことで、旭化成での評価もさらにあがるのは確実ですね。

旭化成の柔道部は1948年に設立され、宮崎県延岡市を中心に活動をしています。

1976年には上村春樹選手がモントリオール五輪に出場し、見事金メダルを獲得しており、以降も多くのメダル獲得者を排出している強豪です。

旭化成に就職したのはおそらく柔道の実力などで勝ち取ったものでしょう。

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古賀玄暉はパリオリンピックで父母に親孝行?

古賀玄暉選手は全日本選抜体重別選手権で初優勝し、全日本柔道連盟は大会後の強化委員会で6月の世界選手権(ブダペスト)男子代表に決定されました。東京五輪代表補欠7人に加え、古賀玄暉選手も初めて選ばれました。

全日本選抜体重別選手権では、亡き父への思いが、古賀を突き動かしたそうです。決勝は10分超えの激戦となりましが、左膝の痛みにも歯を食いしばって攻め続けて、ここぞの勝負をかけた肩車で技ありを取りました。お父さんへは「何も恩返しできずに亡くなってしまった。何としても優勝したい気持ちで戦った」と初めて立った表彰台の中央で、涙を流しています。

選手権前の3月24日、がんで闘病していた父・稔彦さんが天国に旅立ちました。自身はその直前に練習で左膝を痛め、満足に稽古ができない状態でしたが、今までだったら欠場も考えていたことでしょう。でも「今回は無理してでも出ようと思った」と覚悟を決め、通夜や告別式の日も「父に試合に向け、『やるべきことをやれ』と言われてる気がした」と、一日も休まず体だけは動かしてきたそうです。

2024年のパリオリンピック優勝に向かって、今後も活躍期待したいですね。

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